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ティク​・ナット・ハン
Thich Nhat Hanh
​1926-2022

ティク・ナット・ハン師は、キング牧師の推薦によりノーベル平和賞候補にもなったベトナム出身の僧侶である。史上最も名を知られた禅師の一人であり、西洋社会にマインドフルネスを紹介したことで広く知られている。同時に、人権運動家、詩人、作家でもあり、その著作は世界中で出版され、累計数百万部に及ぶ。弟子たちからは親愛をこめて「タイ(ベトナム語で先生の意)」と呼ばれている。2022年1月22日遷化(逝去)。

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ティク・ナット・ハンについて

ティク・ナット・ハンについて

 ティク・ナット・ハンは 1926年ベトナム中部に生まれ、16歳で仏道に入ったが、ベトナム戦争は僧侶たちに瞑想の生活に徹し、修行僧として僧院にとどまり瞑想を続けるか、それとも爆撃やその他の戦争被害に苦しむ村人たちを助けるか、選択することを迫った。
 
 ティク・ナット・ハンはどちらか一つではなく、「行動する仏教」運動を設立することで、両方の道を進むことを選択した一人である。その時以来、彼は個人と社会のための内面からの変革という仕事にその人生を捧げてきている。
 
 1960年代初期、ティック・ナット・ハンは爆撃を受けた村の再建、学校や医療施設の建設、ホームレスとなった家族の移住支援、農業協同組合の設立などを行う草の根からの救済組織である青少年社会奉仕校をサイゴンに創設した。
 一万人ほどの学生ボランティアを招集し、青少年社会福祉校は非暴力と思いやりという仏教の二つの教えに基づいてその活動を行った。
 またティッ・ナット・ハンは、自らの活動に対する政府からの警告にもかかわらず、仏教大学、出版社、そしてベトナムにおいて広い影響力をもつ平和運動雑誌も創設した。

Thich Nhat Hanh
Martin Luther King&Thich Nhat Hanh

 1966年、平和使節団としてアメリカとヨーロッパを訪ねたが、そのためティク・ナット・ハンはベトナムに帰ることが禁止されることとなった。
 その後のアメリカ訪問では、連邦政府や防衛長官ロバート・マクナマラを含む国防総省の官僚に平和への訴えを行った。
 マーティン・ルーサー・キング牧師にベトナム戦争を反対するよう説得し、広がりつつあった平和運動に刺激を与えたという意味では、ティク・ナット・ハンはアメリカの歴史の方向を変えた人物だと言うこともできる。
その翌年、キング牧師はティック・ナット・ハンをノーベル平和賞に指名した。その後、ティック・ナット・ハンはパリ和平会談に仏教徒使節団を率いて参加している。
 
 1982年、ティク・ナット・ハンはフランスで亡命中の仏教徒のコミュニティーとしてプラム・ビレッジを設立し、そこでベトナムや第三世界の難民、小舟で国外脱出を試みるボート避難民、政治的囚人、飢えに苦しむ家族、といった人たちの苦しみを和らげるための活動を展開した。

 彼はまた、ベトナム戦争に参加した旧軍人のための奉仕活動、瞑想のためのリトリート、さらに瞑想、マインドフルネス、平和に関する数多くの著作で知られている。ティク・ナット・ハンが出版した詩、散文、祈祷などについての一般読者向けの著作は85冊にも及び、40冊以上は英語で書かれたものである。
 その中には、『私を本当の名で呼んで』、『一歩一歩が平和』、『ビーイング・ピース』、『平和に触れる』、『生けるブッダ、生けるキリスト』、『愛について』、『解放への道』、『怒り』といったベストセラーが含まれている。
 
 2001年9月、ワールド・トレード・センターへのテロリストによる自爆攻撃のあったほんの2、3日後には、ティク・ナット・ハンはニューヨーク市のリバーサイド教会で非暴力と赦免についての記憶すべき講演を行った。
 2003年9月には、アメリカの国会議員たちを対象に2日間のリトリートを行っている。

Tnh_The world Bank Group
Thich Nhat Hanh02

 ティク・ナット・ハンはその後も彼が設立した瞑想コミュニティーであるプラム・ビレッジに住み、法話、著作、庭仕事を続けて、世界の各地で「マインドフルな生活法」についてのリトリートの指導にあたった。
 
 ティック・ナット・ハンの教えの核心は、マインドフルネスの実践を通して、私たちは過去や未来ではなく、今現在に生きることを学べるということである。彼の教えによれば、今現在を生きることこそ、自らの中に、また世界において平和を育む唯一の道なのである。

※ティク・ナット・ハン師は2014年11月に脳内出血で倒れ、一時重篤と伝えられたが、その後奇跡的な回復を見せ、2015年4月に退院。サンフランシスコの専門医療機関でリハビリのプログラムを受けたのち、プラムヴィレッジに帰還。その後タイランドでの療養を経て、2018年10月末にベトナムへ永住帰国を果たした。自身が出家をしたフエの寺院でおだやかな日々を過ごしたのち、2022年1月22日遷化(逝去)。

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