各地のサンガ
各サンガでは、毎月の全国共通プラクティスの他、それぞれ独自のプラクティスや集会を実施しています。
詳細はそれぞれのサンガにお気軽にお問い合わせください。
みなさまのご参加をお待ちしております。
プラムヴィレッジ・スタイルのプラクティス
「マインドフルネス」とは、
「今というとき瞬間に目覚めている力(エネルギー)」です。
ここでは毎日の生活の一瞬一瞬で、生きることに深く触れることを続けていくよう実践します。
マインドフルであることは、あなたが今ここにしっかりと生きることであり、
あなたのまわりの人たちや身の回りで起きていることと、一つになることです。
お皿を洗っているときも、車を運転するときも、朝のシャワーを浴びるときも、いつでも心と体をひとつに調和させるようにします。
このプラクティスでは、一日を我々が家にいる時とほぼ同じように過ごします。
ただ、歩いたり、座ったり、食べたり、何をしていてもここではそれらをマインドフルにしっかりと意識して行います。
座禅している時だけではなく、一日のあらゆる場面でも実践は続きます。
良き仲間たちにかこまれていれば、より楽しく、落ち着きとゆとりをもって実践できるようになります。
お互いを支えあいながら、外見にとらわれずに、あせらずにのんびりと、大きく心を開いて、実践を楽しみましょう!
01 呼 吸 — Breathing —
呼吸は私たちにとって安定感のある、ゆるぎないよりどころです。
呼吸は、私たちの心の天気(思考、感情、認識)に関係なく、信頼できる友のようにいつも私たちと一緒にいてくれます。
過ぎ去ったことを後悔したり、深く落ち込んだり、やらなくてはいけないことに追われたり、
心配ごとで心が散漫になったりしたと感じたときは、いつでも呼吸にもどって心をおだやかに落ち着けましょう。
では、鼻から出入りする息の流れに気づいてみましょう。
呼吸の働きが軽やかで、自然で、静かで、穏やかであることを感じてください。
歩いている時も、庭仕事をしている時も、パソコンを使っている時も、
一日中どんな時でも、この安らかな命の根源にもどることができるのです。
こんなガーター(偈)を唱えてみましょう。
息を吸って 息を吸っていることに気づく
息を吐いて 息を吐いていることに気づく
息をコントロールする必要はありません。
ありのままの呼吸を感じとります。
息は長いときも短いときも、深いときも浅いときもあります。
呼吸に気づく実践をしていれば、息は自然と深くゆったりとしてきます。
意識的な呼吸が心と体を一つにつなぎます。それが一瞬一瞬にマインドフルの力をもたらす秘訣なのです。
02 気づきの鐘(ベル) - Bells of Mindfulness -
リトリート中、鐘の音が聞こえたら、その瞬間やっていることをすべてストップします。
動作、話、思考も中断します。
それは時を知らせる時計のチャイムかも知れませんし、夕食の鐘かも知れません。
鐘が鳴ったら体をリラックスして、呼吸に注意を向けます。
真面目になりすぎて緊張しないよう、自然に呼吸を楽しみましょう。
次のような詩(偈頌ガーター)を心で口ずさんでみるのもよいでしょう。
この素晴らしき鐘の音に
耳を澄ませば澄む心
息に立ち返って心の静けさと安らぎを取り戻すと、私たちは自由になります。
仕事をもっと楽しく取り込めるようになり、目の前にいる友人はもっと大切な存在になります。
家庭では、電話の音、赤ちゃんの泣き声、消防車や救急車のサイレンの音も、気づきの鐘として利用することができます。
パソコンに気づきの時計をインストールすることもできます。(www.mindfulnessdc.org/mindfulclock.html)
わずが三回の意識的な呼吸によって心と体の力を抜き、すっきりと落ち着いた「あり方」を取り戻させてくれます。
03 起床 - Wake Up in the Morning -
朝起きて、目を開けてからこの詩を唱えるとよいでしょう。
『目覚めて微笑む 真新しい二十四時間
その一刻一刻を大切に生き、生きとし生けるもの全てにやさしい眼差しを向けます』
幸せ満ちたほほ笑みと、愛と理解への道に自分を捧げるという希望をもって、一日を始めます。
今日という人生で一番大切な一日を生きることができることに気づきます。
気づきの心を呼び起こすために、3回ほど深呼吸をしてから、ゆっくりと起き上がります。
やさしく頭・首・肩・腕のマッサージをして血流をよくしたり、ストレッチをして関節を緩めて眠っている体を目覚めさせてあげます。
04 坐る瞑想 - Sitting Meditation -
坐る瞑想とは我が家に戻って、忘れていた自分をいたわってあげるようなものです。
まず、背筋を伸ばして端坐して呼吸に戻ります。
そして、心の中や周りにあるもとしっかりと向き合います。
ゆったりとした心で、やさしく思いやりのある気持ちになりましょう。
仏壇に安置した静謐な仏像の姿のように、私たちもおだやかでゆるぎない光を放つことができるのです。
坐る瞑想の目的は、今ここを楽しむことです。
何かを成し遂げようとしないで下さいね!
坐る瞑想は私たちを癒してくれます。
心の中にあるさまざまな感情―痛み、怒り、苛立ち、そして喜び、愛情、静けさと
「ともに在る=共存する」ことができることに気づかせてくれます。
心の中にあるものに流されることなく、ともに存在(あ)ることができるのです。
それらを招き入れ、とどまらせ、そして、とき放ちましょう。
追い出したり、虐げたり、見て見ぬふりをする必要はありません。
心の様子や思いを素直なやさしいまなざしで見つめると、心に嵐が訪れても、沈黙し平静であることができます。
坐っている最中に足がしびれてきたら、静かに足の位置を調整して下さい。
瞑想の集中を保ちながら、ゆっくりと呼吸し、気づきをもって姿勢を正しましょう。
瞑想が終わったら、立ち上がる前に数分かけて足をマッサージしましょう。
背筋をのばして、でも緊張せずに楽な格好で坐って下さい。
ザフに坐っている場合は両膝を床においてお尻と両膝の三角形で身体をサポートしてください。
ひざがいたい方は無理せずに、いすにすわられても結構です。
いすに坐る場合は、背もたれは使わずに、背筋をのばし、両足をしっかりと地面に置いて下さい。
目はとじてもいいですが、眠気がさして来てしまう場合は半開きにして、床の一メートルほど前に視点を置きます。
両手は両膝の上、または手の平を上に向け、おへその前に重ねて置きます。
その場合、両親指の先を軽く付けます。
薄い笑みを浮かべるような感じで、口は軽く閉じ、自然に鼻で呼吸をします。
ガイド付きの瞑想では、二行の誘導文が読まれます。
その後に、二つのキーワードが読まれます。
一番目のキーワードは、吸う息とともに、二番目のキーワードは吐く息と共に心で繰り返します。
瞑想中、足腰がいたくなって来たら、我慢せずに、静かに姿勢を変えて下さい。
1.息をすいながら、身体に入って来る空気に気づく。
息を吐きながら、身体から出てゆく空気に気づく。
【入る】
【出る】
2.息を吸いながら、入って来る息を端から端までたどる。
息を吐きながら、出てゆく息を端から端まで見届ける。
【端から端】
【見届ける】
3.息を吸いながら、身体全身を感じる。
息を吐きながら、からだ全身の力を抜く。
【身体】
【力を抜く】
4.息を吸いながら、身体を楽にする
息をはきながら、身体に微笑む
【楽にする】
【微笑む】
5.息を吸いながら、身体のある部分の痛みに気づく
息をはきながら、痛んでいる部分をやさしくいたわってあげる
【痛み】
【いたわる】
6.息を吸いながら、身体の安定感を感じる
息をはきながら、安心する
【安定感】
【安心】
7.息をすいながら、心にある苛立ちや不安など、心地悪い感情を見つめる
息を吐きながら、その感情に微笑む
【感情】
【微笑む】
8.息を吸いながら、心は穏やかになってくる。
息をはきながら、 心のさわやかさが取り戻される。
【穏やか】
【爽やか】
9.息を吸いながら、今ここに生きる喜びを感じる
息を吐きながら、今ここにある幸せを感じる。どこにもいかなくていい。何もしなくていい。
【いまここ】
【しあわせ】
05 歩く瞑想 - Walking Meditation -
プラムヴィレッジではどこへ行くときでも歩く瞑想をします。
これは歩いていることに気づきながら歩くということです。
ただ歩くために歩く。
あせらず、捕らわれず、しっかりと歩きます。
一歩一歩あゆみをすすめながら、今ここにもどります。
このように歩くことは特別なことではありません。
周りを見渡してみてください。
生命の営み、木々、白い雲、そして空は果てしなく広がっています。
鳥のさえずりに耳を傾け、新鮮なそよ風を感じて下さい。
私たちの周りにはいのちが満ちあふれています。
私たちは今ここに生きていて、健康で平和に歩くことができるのです。
開放感をもって軽い足取りで一歩一歩を楽しみながら歩きましょう。
そうるすと一歩一歩が私たちの心身を癒し、養ってくれます。
歩きながら、下記のようなガーターを唱えてみるのもよいでしょう。
息を吸って、「着いた」息を吐いて、「我が家に」息を吸って、「いま」息を吐いて、「ここに」
06 皆で食べる - Eating Together -
皆でお食事をいただくことも立派な瞑想の実践です。
その実践は並んで食事をとりにいくところから始まっています。
お皿に食べ物を取りながら、雨や陽光、大地、空気、愛情など
たくさんの要素が一緒になってこのすばらしい食事が作られていることに気づきます。
この食べ物をとおして全宇宙が私たちの存在を支えてくれていることを理解します。
07 お食事を頂く心得(五観の偈)- Five Contemplations -
皆でお食事をいただくことも立派な瞑想の実践です。
その実践は並んで食事をとりにいくところから始まっています。
この食べ物は、天と地とたくさんの生きもの、多くの労働の恵みです。
このお食事に値するよう、マインドフルに、感謝いっぱいにいただきます。
心身を健やかに保つため、貪りをはじめとする心のしこりに注意して節度をもっていただきます。
慈悲の心を保ちつづけ、生きものの苦しみを減らし、地球を守り、温暖化の進行を防ぐようにいただきます。
友愛を育て、サンガを築き、生きとし生けるものに奉仕する心を養うよう、このお食事をありがたく頂きます。
食事はゆっくりと時間をかけていただきます。
一口ずつ、食べ物が液状になるまで30回くらい噛むと消化のためにもなります。
まわりの皆さんとともに一口一口を味わいながら食事を楽しんでください。
今ここにしっかりと自分を確立して、喜びと安らぎをもって食事をすすめます。
食事が終わってもすぐには立ち上がりません。
その場にしばしとどまって、食器が空になり、空腹感が満たされたことをじっくりと感じます。
私たちの理解と愛の道を支えてくれる滋養ある食事に感謝をささげ、今の自分に与えられた幸福に感謝します。
08 わかち合い - Dharma Sharing -
「わかち合い」はお互いの洞察や経験をわかち合う場です。
これは気づきの実践のなかで出てくるさまざまな体験や喜び、問題、疑問などを、みんなでわかち合う貴重な時間です。
ただ単に深く耳を傾けあうことでおだかやでオープンな環境がつくられます。
実践の途上で出会う喜びや困難を語りあうことは、サンガ全体の洞察や理解におおいに貢献できるのです。
抽象的な観念や理論的な話題を避けて、自分の体験に基づいたことを心からわかち合ってみましょう。
自分も似たような困難や願いを抱えていることに気づくかもしれません。
一緒に坐り、聴き、わかち合うことによって、お互い同士の真実の繋がりに気づいていきます。
わかち合いで話された内容については守秘義務を守りましょう。
仲間が自分の悩みについて話してくれたら、その人の気持ちを尊重し、話を口外しないようにしましょう。
09 お茶の瞑想 - Tea Meditation -
お茶の瞑想は、サンガのみなさんとともに喜びと静寂に満ちた空間を味わうひとときです。
ただ一緒にお茶を楽しむだけで充分なのです。
友人とお茶を飲んでいるとき、お茶にも、そこにいる友人にさえも気づいていないことがよくあります。
お茶の瞑想は、お茶と友人とともに、ここに在ることです。
悲しみや心配事があっても、今この瞬間はしあわせな瞬間であることに気づきます。
言葉を交わす必要はありません。
ただくつろいで座ればよいのです。
お互いの喜びや幸せをお話、歌、詩、や踊りで表してもよいでしょう。
お茶の瞑想は、私たちが理解と愛、喜びと幸せの種に水を注ぐ絶好のチャンスです。
10 5つのマインドフルネス・トレーニング
- 5 Mindfulness Training -
5つのマインドフルネス・トレーニングには、仏教のグローバルな精神性と倫理性が現れています。
ブッダの教えの「四聖諦」と「八正道」は、正しい理解と真の愛の具体的な表現であり、
これらは自分と世の中を癒し、変容、幸福へと導いてくれます。
5つのマインドフルネス・トレーニングを実践することは、
インタービーイング(相互共存)または「正見」への洞察を深めることであり、
差別心、不寛容、恐怖、絶望感が取り除かれていきます。
5つのマインドフルネス・トレーニングに従って生きれば、すでに菩薩の道を歩んでいることになります。
正しい道にいることを自覚すれば、今の生活の混乱や将来の不安から自分を見失わずに済みます。
【いのちを敬う】
いのちを破壊することから生まれる苦しみに気づき、相互存在を洞察する眼と慈悲とを養い、人間、動物、植物、鉱物のいのちを守る方法を学ぶことを誓います。
私は、けっして殺さず、殺させず、自分の心と生き方において世界のいかなる殺害行為も支持しません。
有害な行為は、差別や二元的思考から生まれ、怒り、怖れ、貪り、不寛容から生じることを見抜きます。
私は寛容さと差別のない心を育て、自分の見方に執着せず、自分の心と世界にある暴力、狂信、教条主義を変えていきます。
【真の幸福】
搾取、社会的不正義、略奪、抑圧による苦しみに気づき、自分の心、発言、行動をもって寛容さを実行することを誓います。
私はけっして盗まず、他に属するものを所有せず、私の時間、エネルギー、持ちものを、必要とする人とわかち合います。
深く見つめる実践によって、他の幸福と苦しみは私の幸福と苦しみとひとつであること、慈悲と理解なしに真の幸福はありえないこと、富や名声や権力や享楽の追及は大きな苦しみと絶望をもたらしかねないことを理解します。
幸福は外的な条件ではなく、心の持ち方によって決まります。幸福になるための条件がじゅうぶんにそろっていることがわかれば、今ここで幸せに生きることができます。
私は正しい暮らし方(正命)をして、地球に生きるものたちの苦しみを減らし、温暖化を軽減するよう働くことを誓います。
【真実の愛】
性的な過ちによる苦しみに気づき、責任感を育て、個人、カップル、家族、社会の安全と誠実さを守る方法を学ぶことを誓います。
性欲は愛ではなく、貪りによる性行為は、つねに自分と相手を傷つけることを知ります。真の愛と家族や友人から認められた深く長期的なかかわりなしには、けっして性的な関係を結びません。
力を尽くして子供たちを性的虐待から守り、性的な過ちからカップルや家族が崩壊しないように防ぎます。
私と他のすべての存在がさらに幸福になるために、体と心は一つであることを理解し、自分の性的エネルギーを適切に扱うことを学び、真の愛の四つの基本要素(四無量心)を育てます。
真の愛を実践すれば、それがすばらしいかたちで未来につながっていくと信じます。
【愛をこめて話し、深く聴く】
気づきのない話し方と、人の話を聴けないことが生む苦しみに気づき、愛をこめて話し、慈悲をもって聴く力を育てます。
自分をはじめとして、人びとや民族や宗教集団や国家間に存在する苦しみを見抜き、和解と平和をうながすことを誓います。
言葉が幸せも苦しみもつくりだすことを自覚し、信頼、喜び、希望を与える言葉を使って、誠実に話すことを誓います。
心に怒りが生じているときはけっして話しません。マインドフルな呼吸と歩く瞑想によって、その怒りを認めて深く見つめる実践をします。
怒りは、私自身の間違った認識と、自分と相手の苦しみへの理解不足から生まれる可能性を認めます。
自分と相手が苦しみを乗り越え、困難な状況から出口を見いだせるような話し方、聴き方をします。
確信のないことを言いふらさず、分裂や不和を引き起こすような言葉を発しません。
誠実な勤勉さ(正精進)で私の理解、慈しみ、喜びと受容(平等心)を養い、意識の奥深くにひそむ怒り、暴力、怖れを少しずつ変えていきます。
【心と体の健康と癒し】
気づきのない消費によって生じる苦しみに気づき、マインドフルに食べ、飲み、消費することを通して、自分と家族と社会に心身両面の健やかさを育てていくことを誓います。
食べもの、感じ方、思い、意識という四種の栄養の消費のしかたを深く見つめる実践をします。
私は賭けごとをせず、アルコール飲料、麻薬の他、特定のウェブサイトから、ゲーム類、テレビ番組、映画、雑誌、書籍、会話にいたるまで、毒性のあるものはけっして摂取しません。
今ここに戻る実践を行って、自分の内とまわりの癒しと、滋養のあるすがすがしい要素に触れます。
後悔や悲しみによって過去に引き戻されたり、不安や怖れや貪りによって今ここから引き離されないように気をつけます。
消費に没頭することで孤独や不安やその他の苦しみをごまかそうとしたりしません。
相互存在の真理をよく見つめ、私の体と意識に、私の家族や社会や地球という集合的な身体と意識に、安らぎと喜びと健やかさを保つような消費のしかたを実践します。
11 大地に触れる - Touching the Earth -
“大地に触れる”という実践は、私たちの祖先、ルーツ、大地に立ち帰り、
私たちが一人ぼっちではなく、血縁の先祖や霊的な先達の大きな流れにつながっていることに気づくためのものです。
私たちはそのような祖先・先達の続きであり、共に未来の次の世代に続いていきます。
大地に触れることによって「自分は切り離されている」というような考えを手放し、
私たちが大地であり、生命の一部であることを思いだします。
大地に触れると自分が小さくなり、幼い子どもの単純さと謙虚さが戻ってきます。
大地に触れると自分が大きくなり、地中深く根をはってすべての水源から水を吸う古木になったように感じます。
大地に触れて、息を吸うように、その力強さと安定感を吸い、息を吐くように、
怒り、憎しみ、怖れ、欠点、嘆きなどの苦しみを吐きだします。
両手で蓮華のつぼみの形を作って合掌しながら、そっとやさしく体をかがめ、
おでこ、胴体、手足が心地よく床につくように、腹ばいになって伏します。
手のひらはあおむけにし、「三宝(仏=ブッダ、法=ダルマ、僧=サンガ)に心を開いています」という形を示します。
大地に触れる実践(“三回伏して祈る”、または“五回伏して祈る”実践)を一、二度行えば、
苦しみも孤独感もかなり手放すことができ、先祖、両親、子どもたちや友人と和解することができるでしょう。
【五回伏して祈る— The Five Earth Touchings — 】
1回目--------
「深くおじぎして、私の血につながるすべての先祖に感謝します。」
[鐘の音]
[全員、各自、大地に触れる]
私の血管の中には、父と母の血、肉、生命力が流れ、私の細胞のひとつひとつをはぐくみます。
父と母を通して、四人の祖父母がいます。
その祖父母の期待、経験、知恵は、何世代にもわたる先祖から受け継がれたものです。
私の中にはその先祖の命、血、経験、智恵、幸福、悲しみがあります。
苦しみや変えなければならない部分があります。
それらをすべて変えるために、私はこうして実践を行っています。
私のルーツは父、母、祖父、祖母、先祖全員にあります。
私は代々つながってきたご祖先さまの延長にすぎません。
どうか私を支え、お護りください。
あなたのエネルギーを私に注いでください。
子どもや孫がいるところには、ご先祖さまもかならずいらっしゃいます。
親が困難を経験したためにうまく伝えられないことがあっても、親は常に子どもと孫を愛して支えています。
ご先祖さまは、感謝、喜び、自信、尊敬、愛とやさしさにもとづいて生きる道を造られようとしました。
その末えいである私の中に、ご先祖さまのエネルギーが流れていくように、深く頭(こうべ)をたれます。
ご先祖さま、どうか私を支え、お護りください。力をお与えください。
[三呼吸]
[鐘の音]
[全員 起きて立ちあがる]
二回目--------
「深くおじぎして、私の精神的な家族につながるすべての先祖に感謝します。」
[鐘の音]
[全員、各自、大地に触れる]
私の中には、愛と理解の道を示してくださった恩師たちがいらっしゃいます。
呼吸し、ほほ笑み、許すこと、そして今このときを深く生きることを教えてくださいました。
その向こうには、何世代にもわたってさまざまな伝統を保たれた恩師たちがいらっしゃいます。
そしてその向こうには、はるか何千年も前に、私の精神的な家族を始められた方たちが見えます。
イエス、他の精神指導者たちは、みな私の恩師であり、精神的につながった先祖です。
そのすべての方たちのエネルギーが私の中に入り、平和、喜び、理解、愛とやさしさを創りあげています。
この方たちのエネルギーは世界を深く変えてきました。
ブッダや精神的な先祖がいらっしゃらなければ、
私の人生にも、家族の人生にも、社会にも、平和と幸福をもたらす実践方法を知らなかったでしょう。
私は心と体を開いて、「目覚めた人」と、その教え、
幾世代も実践を続けてきた共同体から、理解、愛とやさしさ、護りを受けとります。
私はその方たちの延長にあります。
精神的につながる恩師たちよ、そのエネルギー、平和、安定、理解、愛の無限なる源を受けとらせてください。
私は、自分と世界の苦しみを変え、受けとった力は未来の実践者たちに伝えることを誓います。
恩師たちは困難がゆえに、教えを授けられないことがあったかも知れません。
私はそれをありのままに受け入れます。
[三呼吸]
[鐘の音]
[全員 起きて立ちあがる]
三回目--------
「深くおじぎして、この大地と、大地を使えるようにしてくださったすべての先祖に感謝します。」
[鐘の音]
[全員、各自、大地に触れる]
私は、この土地とそこに生きるすべての人に養われ、護られて、生きています。
その人たちの努力のおかげで、私は楽に生きることができます。
有名な人も無名な人も、その能力、忍耐、愛をもって、この国を人が住める場所にしました。
その中には、学校、病院、橋、道路を造り、人権を保護し、
科学技術を発展させ、自由と社会正義のために闘い、一生懸命尽くした人びとがいます。
長い間、この土地で自然と調和して平和に生きるすべを知り、山、森、動物、草木、鉱物を護ってきた人びともいます。
この土地のエネルギーは私の血と魂の中にみなぎり、私を受け入れ、支えています。
私はこのエネルギーを養い、保ち、未来の世代に受けわたすことを誓います。
また、この社会の集合意識に根深く残っている暴力、憎しみ、妄想を変え、
未来の世代がより安全で喜びと平和とともにあるために、自分ができることをします。
[三呼吸]
[鐘の音]
[全員 起きて立ちあがる]
四回目--------
「感謝と思いやりの気持ちをもって、深くおじぎして、私の愛する人たちにエネルギーを注ぎます。」
[鐘の音]
[全員、各自、大地に触れる]
私が受けとったすべてのエネルギーを、今度は、父、母、私の愛するすべての人、
そして私のせいで苦しみ心配したすべての人に注ぎたいと思います。
私は、日常生活では充分にマインドフルではありません。
また、私を愛してくれる人たちがそれぞれの問題を抱えていることもわかっています。
不幸にして自分を完全に開花できる環境が得られなかったために苦しんだのです。
私のエネルギーを父、母、兄弟、姉妹、愛する人、夫、妻、息子、娘に注ぎます。
痛みがやわらぎ、ほほ笑んで、生きる喜びを感じることができますように。
みんな健康で楽しくいられますように。
みんなが幸福ならば、私も幸福です。
どの人にも恨みはありません。
私の血縁的先祖、精神的な先祖、そのエネルギーをみんなに一人一人しっかと注ぎ、護り、支えてくださるよう祈ります。
私が愛する人たちと私は切り離されていません。
私は愛する人たちとひとつなのです。
[三呼吸]
[鐘の音]
[全員 起きて立ちあがる]
五回目--------
「理解と思いやりの気持ちをもって、深くおじぎして、私を苦しめたすべての人と和解します。」
[鐘の音]
[全員、各自、大地に触れる]
私は心を開いて、私を苦しめたすべての人と、私の人生や私の愛する人の人生を破壊した人に、愛と理解のエネルギーを送ります。
その人たち自身もたくさんの苦しみを受けて、心が痛み、怒り、憎しみでいっぱいになってしまったのです。
その人たちと同じぐらい苦しんだ人ならば、誰でもまわりの人を苦しめてしまうことでしょう。
不幸なことに、彼らは誰かに気づかってもらったり、愛されたりする機会がまったくなかったのです。
反対に、人生と社会は彼らに多くの苦難を与えました。彼らは不当に扱われ、虐待を受けました。
マインドフルに生きる道を教えられませんでした。
人生について、私について、私たちについて、まちがった理解を重ねました。
そして私たちと私たちの愛する人びとをまちがって扱いました。
私の血につながる先祖と精神的につながる家族に祈ります。
私たちを苦しめた人たちに愛と護りのエネルギーをお送りください。
どうか、彼らの心が愛という蜜を得て、花のように咲くことができますように。
自分と他人を苦しめ続けるのをやめて、生きる喜びを経験できるよう、彼らが変われますように。
私には彼らの苦しみがわかります。
彼らに対して怒りや憎しみの気持ちは持ちたくありません。
苦しんでほしくありません。
私の愛と理解のエネルギーを彼らに送ります。
そして私のすべての先祖に、彼らを助けてくださるように頼みます。
[三呼吸]
[鐘の音]
[全員 起きて立ちあがる]
12 こころのリニューアル - Biginning Anew Practice -
こころのリニューアルとは、自分の過去の発言、行動、思考を深く真っすぐ見つめ、
自分の中で、また人間関係の中で、新鮮な気持ちで新たにやり直す実践です。
プラムヴィレッジでは、2週間に1度、サンガとしてこの実践を行います。
個人単位では、好きなときに好きなだけ実践しています。
この実践を行うと気持ちがすっきりして、毎日の実践そのものを新鮮に保つことができます。
共に実践している人たちの間で問題が浮上し、
誰かが嫌われたり傷ついたりしたと感じたときこそ、こころのリニューアルをするときです。
ここでは、こころのリニューアルの実践を正式に行う場合の4つの過程を説明します。
自分と相手の二人ででも、グループででもできますが、必ず一人づつ話し、その間は他の人は邪魔しません。
各自、自分の呼吸をたどりながら、深く耳を傾けます。
1.お花に水をやる
相手に感謝の気持ちをつたえます。
相手が言ったりしたりしたことであなたがすばらしいと思ったことを、具体的に伝えてみましょう。
相手の長所とサンガへの貢献に光を当て、相手のよいところが伸びるように励ます絶好の機会です。
2.後悔を述べる
次に、自分の発言、行動、思考の至らない部分について、謝る機会がないままになっていることを相手に伝えます。
3.痛みを表す
今度は、相手と関わったときの発言、行動、思考によってあなたがどう傷ついたのかを伝えます。
ただし、自分の痛みについて伝える前にまず相手をしっかりと観察し、手順の1に従って、
その人のよいところを少なくとも2点わかち合い、相手の心の花に水を注いでからにしましょう。
自分の息に従いながら、発する言葉を慎重に選び、相手を責めたり攻撃するような話し方は慎みます。
痛みの表明は、グループよりも相手と一対一で行う場合が多く見られます。
双方が信頼し尊敬する第三者に頼んで同席してもらってもよいでしょう。
4.長く抱えている問題をわかち合い、支援を頼む
誰でも、過去からの問題や痛みが「今ここ」に再浮上してきていることがあります。
自分が向き合ってきた問題をわかち合うときは、まわりの人たちによりよく理解してもらい、
本当に必要な支援を差しのべてもらいましょう。
こころのリニューアルは、穏やかに話し、思いやりをもって聞く力を育てる実践です。
それは、このサンガの中のよい要素を認識して感謝することでもあります。
例えば、同室の人が自分の洞察をわかち合うことに寛大であったり、
別の人は植物をやさしく世話していたりすることに気づくでしょう。
他の人のよいところに気づけば、私たち自身のよいところも見ることができることでしょう。
しかし、私たちには弱いところもあります。
怒りにまかせて話したり、まちがった思いこみにとらわれたりします。
「花に水をやる」ことは、おたがのよいところを育てることであり、相手の難しい部分が緩和するように助けることです。
おたがの心の庭に咲いている思いやりと愛の花に水をやることは、
心の庭に生えている怒り、嫉妬、先入観という雑草の勢いを削ぐことにもなります。
共に実践している人たちに感謝の気持ちを表し、誰かを傷つけるようなことを言ったときにすぐに謝るのは毎日でもできる実践です。
自分も傷ついていることを伝えるときは、礼儀正しくていねいに言いましょう。
サンガ全体の健康と幸福は、構成している人びとの間に調和、平和、喜びがあるかどうかにかかっています。
13 家に帰ってから - Going Home -
私たちは常に皆さんとともにあり、皆さんもまた常に私たちとともにあります。
ですから、「行く」ことも、「帰る」こともありません。
各自、自分の家に帰ったら、まずは、みんなと一緒に実践したこの呼吸に立ち返ることを思い出しましょう。
そうすればプラムヴィレッジと世界中のサンガが、あなたと一緒に呼吸していることがわかるでしょう。
意識的に呼吸する、マインドフルに食事を頂く、思いやりをもって話す、
など楽しい実践をいつでも好きなときに自分の拠り所にしてください。
そうすれば、自分は一人ぼっちではなく、サンガそのものであり、みんなとしっかりつながっていることが感じられるでしょう。
こうしてリトリートで調和した生きかたを学んだのですから、
家庭や社会にもどってからも同じ様に調和を培う生き方を続けていきましょう。
リトリートでともに実践した仲間たちと理解し合ってきたように、同僚や近所の人たちをも理解し、感謝しましょう。
プラムヴィレッジのブラザーやシスターと思いやりをもって語り合ったように、
駅のホームやバスの中で出逢う見知らぬ人とも同じように話してみましょう。
いつでもどこでもマインドフルの実践は続けられます。
あなたに蓮を
仏にならんことを
記載内容は「微笑みの風:ティク・ナット・ハン マインドフルネスの教え」より転載