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幸せを育むための5つの実践


Lion’s Roar: BUDDHIST WISDOM for OUR TIME は、アメリカでの仏教実践者のための雑誌であるShambhala Sunが仏教に関する情報や記事をオンラインで紹介しているウエブサイトですが、2015年12月31日付のこのサイトでは2015年を代表する仏教の教えとして

Thich Nhat Hanh, “5 Practices for Nurturing Happiness”

Pema Chodron, “What to Do When the Going Gets Rough”

Sayadaw U Pandita, “How to Practice Vipassana Insight Meditation”

の三つの記事が選ばれたことが報告されています。

琵琶湖サンガ 幸泉久子さん、哲紀さんが、翻訳して頂きましたので、以下、掲載致します。

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“5 Practices for Nurturing Happiness”

By Thich Nhat Hanh, October 15, 2015

偉大な仏教の師テイク・ナット・ハン師は2014年11月に重症の脳溢血を患いました。全世界の実践者とともに、師が全快されるよう祈りと願いを送りたいと思います。テイック ナット ハン師の生涯は私たちを勇気づけるものであり、彼がもたらした恩恵は偉大であり、また彼の教えはまさにダルマそのもののごとく深遠であり、かつ実践的です。

『幸せを育むための5つの実践』

人は皆幸せでありたいと願い、世の中には人々がより幸せになる手助けをする多くの書物があり、また多くの教師がいます。それにもかかわらず、私たちは皆、苦しみ続けます。そこで私たちは自分たちの「やり方が間違っている」とか、どうやら私たちは「幸せになることに失敗している」のではないか、と思うかも知れません。しかしそうではないのです。幸せを享受することができるために、苦しみを全く無くしてしまう必要はないのです。事実、幸せになる技法は同時に上手に苦しむ技法なのです。自分の苦しみを認め、抱きとめ、理解することを学べば、苦しみをずっと軽減することができるのです。それだけではなく、さらにこの実践を積むことで、自分の苦しみを自分や他の人々への理解、慈悲、喜びに変容することができるのです。

私たちにとって受け入れることが最も難しいことの一つは、幸せだけがあり、苦しみがない世界というものがないということです。このことは絶望すべきことではありません。苦しみは変容することができます。私たちが「苦しみ」と言おうと口を開いた途端、苦しみの反対がすでにそこにあることが分かるのです。苦しみがあるところには、幸せがあるのです。

聖書創世記にある天地創造物語によれば、神は「光よ在れ」と言ったとされています。私なら光が次のように答えたと想像したいです。「神よ、私は双子の弟の闇が私のそばに来るのを待たなくてはなりません。というのは、私は闇なしには存在できないからです」と。神はこう尋ねたでしょう。「なぜ待つ必要があるのか。闇はすでにそこに在るではないか」と。そこで光は答えたでしょう。「そういうことであれば、私もすでにここに在ります」と。

幸せを追求することだけに傾注すれば、私たちは苦しみを無視すべきもの、抵抗すべきものと考えてしまうかも知れません。幸せになるために苦しみは邪魔になるものだと考えてしまうのです。しかし、幸せになる技法は同時に上手に苦しむことを知る技法なのです。苦しみを利用するやり方を知っていれば、私たちは苦しみを変容することができ、その分苦しむことが少なくなるのです。上手な苦しみ方を知ることは、真の幸せを実現するのに欠かせないことなのです。

癒しの医療法

現代文明が抱えている大きな問題は、私たちが自分の内にある苦しみをどのように取り扱うべきかを知らずに、ありとあらゆる消費でもってそれを覆い隠そうとしていることです。商人たちは、私たちが自分の内にある苦しみを覆い隠すのに役立つようにさまざまな工夫をこらした品々を売りつけます。しかし、私たちが自分の苦しみに直面できるようになるまでは、自分の人生に向き合い、改善していくことができません。それでは幸せは私たちから縁遠いものであり続けるのです。

大きな苦しみを抱え、それをどう取り扱うべきなのかが分からない人が多くいます。多くの人たちにとって、苦しみは幼い頃から始まります。それならば、何故学校では若い人たちに苦しみに対処する方法を教えないのでしょうか。大きな不幸を抱えた生徒は集中できないし、学習することができません。私たち一人一人の苦しみが他の人々に影響を与えます。私たちが上手く苦しむ技法を学べば学ぶほど、世界での苦しみが少なくなるのです。

マインドフルネスは苦しみに圧倒されることなく、苦しみと共に在る最善の方法です。マインドフルネスとは、今という時に住まい、今ここで何が起こっているかを知る能力のことです。例えば、両手を持ち上げている時には、自分が両手を持ち上げているという事実を意識しています。その時私たちの心は上がっている腕とともにあり、過去のことや未来のことを考えていません。というのは、腕を上げているということが、今という時に起こっていることだからです。

マインドフルであるということは、気づいているということです。それは今この時に何が起こっているかを知るエネルギーです。両腕をあげ、自分が腕を上げているということを知ること、それがマインドフルネスであり、自分の行動にマインドフルであるということです。息を吸い、自分が息を吸っていると知ること、それがマインドフルネスです。一歩を歩き、自分が歩いていることを知っている時、私たちは自分の歩みにマインドフルなのです。マインドフルネスというのは、常に何かにマイドフルであるということです。それは今ここに、私たちの体、感情、知覚や私たちの周りなどに、何が起こっているのかに気づくのを助けるエネルギーなのです。

マインドフルネスがあれば、自分の内や世界にある苦しみの存在に気づくことができます。そしてその苦しみを優しく抱きとめるのも、同じマインドフルネスのエネルギーなのです。吸う息、吐く息に気づくことによってマインドフルネスのエネルギーを作り出し、苦しみをいたわることができるのです。マインドフルネスの実践者は苦しみを認め、抱きとめ、変容することで、お互いを助け合い、支持し合うことができます。マインドフルネスがあれば、痛みを恐れることはありません。さらに一歩進めて、苦しみを上手く使うことで、自分を癒す理解と慈悲のエネルギーを作り出すことができ、他の人々が癒され、幸せになる助けをすることができるのです。

マインドフルネスを作り出す

マインドフルネスという癒しの医療法を作り出す方法とは、まず立ち止まり、意識して呼吸をすること、つまり、吸う息と吐く息に完全な注意を向けることです。立ち止まり、このように呼吸をすることで、私たちは体と心を統一し、自分に帰るのです。そうすることで、自分の体をもっと深く感じることができます。心が体と一体になった時にのみ、私たちは真の意味で生きているのです。素晴らしいことは、心と体の統一は一回の呼吸でもって達成できるということです。私たちは自分の体に十分親切にしてこなかったのかも知れません。体の中の緊張、痛み、ストレスを再認識することによって、マインドフルな気づきの中に体を浸すことができるのです。これが癒しの始まりです。

自分の内にある苦しみを癒すことによって、私たちは自分が愛する人たちの苦しみ、さらには地域社会や世界の苦しみに立ち向かう明察、エネルギー、勇気が増すのです。しかし自分自身の恐怖や絶望感で取り憑かれている時には、他の人々の苦しみを取り除く手助けはできません。上手に苦しむ技法があります。自分の苦しみに対処するやり方を知っていれば、苦しみがずっと軽くなるだけでなく、自分の周りや世界にさらなる幸せを作り出すことができるのです。

何故ブッダは瞑想を続けたのか

私がまだ若い僧侶であった頃、どうしてブッダは目覚めた人となった後もマインドフルネスと瞑想の実践を続けたのだろうか、と不思議に思いました。今ではその答えがはっきりと分かります。幸せは他の全てのことと同じように無常なのです。幸せを長く続かせ、次々と新たな幸せを得るためには、自分が今感じている幸せに栄養を与える術を学ばなければなりません。幸せをも含めて、何ごとも食べものなしには生き延びることはできません。幸せに栄養のあるものを与えるやり方を知らなければ、あなたの幸せは死んでしまいます。花を切りとっても、それを水の中に入れておかなければ、数時間もすれば花は萎れてしまいます。

幸せがすでに現れて来ていたとしても、それを滋養し続けていかなければなりません。このことは心理学では条件付けと呼ばれており、大変重要なことです。私たちは、手放すこと、良い種を招くこと、マインドフルネス、集中、洞察という五つの実践でもって、体と心を幸せになるように条件付ける、つまり整えていくことができるのです。

1 手放すこと

喜びと幸せを作り出す第一の方法は、投げ出すこと、置き去ることです。手放すことにはある種の喜びがあります。私たちの多くは沢山のことに縛られています。そして、これらのものが生存、安全、そして幸せのために必要だと信じています。しかし、これらのものの多く、より正確に言えば、これらのものが絶対必要だと信じていることが、実は私たちの喜びと幸せの障害となっているのです。

キャリア、卒業証書、給料、家、あるいは結婚相手があることが、自分の幸せにとって不可欠だと思うことがあります。これらなしには生きていけないと思います。これらのものを手に入れ、願っていた相手と一緒にいてさえも、なおあなたは苦しみ続けます。それと同時に、自分が手に入れた大切なものを手放してしまうともっと悪くなるのではないかと恐れています。あなたがしがみついているものが無くなればもっと惨めになるのではないか、と恐れています。それがあっても生きられないし、それが無くても生きられない、と思うのです。

この恐れるほどの執着心を深く見てみると、それこそ実は喜びと幸せへの障害であることにあなたは気づくでしょう。あなたにはそれを手放す能力があるのです。時には手放すことは大変勇気のいることです。でも一度手放してしまうと、幸せがすぐにやってきます。幸せを探し回る必要はないのです。

あなたが都会の住民で週末に田舎の方に旅行に行くと想像してください。大都市に住んでいると、ひどい騒音、埃、汚染、悪臭があります。と同時に、多くの機会や興奮するようなこともあります。ある日、友達が二日ほど街から離れるよう、あなたを説得したと思ってください。あなたの最初の反応は、「行かれないわ。だって仕事が沢山あるし、重要な電話を逃すかも知れないでしょう」ということかも知れません。

結局、あなたが都会を離れることを友だちが説得したとします。1~2時間後には、あなたは田舎にやって来ます。あなたがそこで見るのは、広々とした空間であり、空です。そしてそよ風があなたの頬を撫でます。幸せはあなたが都会を置き去りにしてきたという事実から生まれます。もしそうしていなければ、どうしてこのような喜びを経験することができたでしょうか。手放すことがあなたには必要だったのです。

2.良い種を招くこと

私たちは誰も意識の奥深くに色々な「種」をもっています。芽を出し、私たちの意識の中にまで上り、外に表れてくるのは、私たちが水をやった種です。

私たちの意識の中には、地獄もあれば、極楽もあります。私たちは慈悲の心を持ち、他人を理解することができ、喜びを感じることができます。もし私たちが自分の否定的なことばかり、特に過去の傷ついた苦しみにばかり囚われていると、自分の悲しみに溺れてしまい、良い栄養が摂れません。私たちは自分の内や周りにいつもある良いことがらに触れることで、私たちの中にある健全な資質に水をやり、適度な気配りをするという実践をすることができます。それが私たちの心にとっての良い食べ物なのです。

苦しみに対処する一つのやり方は、逆の性格をもった種を招くことです。何ごともその反対のものなしには存在しないので、例えば、あなたが傲慢の種を持っていれば、慈悲の種も持っていることになります。実際、私たち誰もが慈悲の種を持っています。慈悲のマインドフルネスを毎日実践すれば、あなたの中にある慈悲の種が強くなります。あなたはそれだけに集中すればいいのです。そうすることで力強いエネルギーの場が出てきます。

当然のことですが、慈悲の心が浮き上がってくると、傲慢な心は沈んで行きます。無理に傲慢と戦ったり、押し込めたりする必要はないのです。選んで良い種に水をやり、悪い種には水をやらないようにすることができるのです。このことは苦しみを無視するということではありません。もともと私たちの中にある良い種に注意と栄養を与えるということなのです。

3.マインドフルネスに基づいた喜び

マインドフルネスは苦しみに触れるのを助けることで、それを抱きとめ、変容することができるだけでなく、自分の体も含めて生命の素晴らしさに触れるのを助けてくれます。そうすることで、息を吸うことが喜びになり、息を吐くことも喜びになります。息をするということが本当に楽しくなるのです。

2、3年前のことですが、私の肺にウィルスが入り、肺出血をしました。私は血を吐きました。肺がそのような状態では息をすることが難しく、呼吸をしている時に幸せを感じることは困難でした。治療を受け、肺が良くなり、呼吸も随分よくできるようになりました。今呼吸をする時に私がすることは、私の肺がウィルスに感染していた時のことを思い出すことです。そうすることで、一つ一つの呼吸が大変美味しくなり、大変良いものになります。

マインドフルな呼吸とか、マインドフルな歩みを実践する時には、私たちは心を体に返すようにします。そうすることで、今ここに確実に自分を置くことができるのです。私たちは本当に幸せだと思います。私たちは幸せになる多くの条件をすでに持っています。喜びと幸せはすぐにやってきます。ですからマインドフルネスは喜びの源泉です。マインドフルネスは幸せの源泉です。

マインドフルネスは実践をすることによって1日中生み出すことができるエネルギーです。マインドフルにお皿を洗えます。マインドフルに夕食の準備ができます。マインドフルに床拭き掃除ができます。マインドフルであれば、すでに存在している幸せや喜びの多くの条件に触れることができます。あなたは真の芸術家なのです。いつでも好きな時に喜びと幸せを作り出す術を知っているからです。これがマインドフルネスから生まれてくる喜びと幸せです。

4.集中すること

集中することはマインドフルネスから生まれます。集中には、あなたを苦しめる悩みを突き破り、焼き捨て、喜びと幸せを呼びこむ力があります。

今という時に居続けるには集中が必要です。将来についての心配や不安は常にあり、私たちを今からさらって行こうとします。これらの心配や不安は見ることができ、認識することができます。そして集中することによって今という時に自分を立ち帰らせることができるのです。

集中をしている時には、私たちは多くのエネルギーを持っています。集中していれば、過去の苦しみの思い出や未来への不安に流されることはありません。今という時にしっかりと安住することで、生きることの素晴らしさに触れ、喜びと幸せを生み出すことができるのです。

集中するということは、常に何かに集中するということです。ゆったりと呼吸に集中している時、あなたはすでに内面の強さを育てているのです。自分の息を感じるように注意を戻す時には、あなたの心と体全体で息をすることに集中してください。集中することは重労働ではありません。大きな努力をするように緊張する必要はありません。幸せは軽々と、また容易に浮き上がってきます。

5.洞察

マインドフルであると、私たちは自分の体の緊張に気づきます、そしてその緊張をほぐしたいと思います。でもそれができない時がありあす。そこで必要になるのが洞察です。

洞察とは、そこにあるものをそのまま見るということです。それは嫉妬や怒りといった苦悩から私たちを解放し、真の幸せが来るようにしてくれる明察です。私たち誰もが洞察を持っています。ただ、幸せを増すためにそれをいつも有効に使っていないのが実情です。

例えば、私たちは何か(貪欲とか恨み)が幸せへの障害であり、不安や恐れをもたらすことを知っています。そのために眠れなくなるほど思いこむ価値のないことであることも分かっています。それでも私たちはそのことに執着し、時間とエネルギーを費やしています。これでは、私たちは一度釣り針に掛ったことがあり、餌の中には針があることが分かっている魚のようなものです。餌の中に針があるという洞察に基づいて行動すれば、魚は餌には噛み付かないでしょう。何故なら、噛み付けば針に引っ掛けられることが分かっているからです。

往々にして、私たちは貪欲や恨みに噛み付き、針に引っ掛ってしまいます。心配するに値しない状況に捕らえられ、これらの状況に囚われてしまいます。もしマインドフルネスと集中があれば、洞察もあります。そして洞察を使って針から逃れ、自由になれます。

空中に多くの花粉が飛び交う春には、私たちの中にはアレルギーのために呼吸がしにくくなる人がいます。5マイル(約8キロ)を走ろうとしているのではなく、ただ座っていたり、横になったりしていたいだけなのに、うまく呼吸ができません。そういう人は花粉のない冬に寒い寒いと文句を言うかわりに、4月、5月には全然外に出られなかったことを思い出せば良いのです。そうすれば、今は冬でも自分の肺はきれいで、外を活発に歩くことができ、十分に呼吸をすることができます。過去の経験を意識的に呼び覚ますことで、私たちは今持っている良いことを大切にすることができるのです。

過去に私たちはあれやこれやと苦しんだことがあるでしょう。時には、まるで地獄にいるように感じたかもしれません。その苦しみを覚えていても、それに流されてしまわなければ、私たちは「自分は今何と幸運なのだろう。自分はもうあの状態にはいない。幸せになれる」と自分に気付かせることができるのです。これが洞察なのです。このことに気づいた時に、私たちの喜びと幸せはすぐさま大きく育つのです。

私たちの実践の核心は苦しみを幸せに変容することだ、と言えます。これは複雑な実践ではありませんが、マインドフルネス、集中と洞察を育成することが要求されます。

何よりもまず私たちに必要なことは、自分に立ち帰ること、苦しみと和平を結び、優しくいたわり、苦しみの根幹を深く見ることです。無用で不必要な苦しみを手放し、自分が考える幸せは何なのかを良く見ることが要求されます。

最後に、私たちの実践は、自分のため、また周りの人々のために、認識、理解、慈悲でもって日々幸せに栄養を与えることを要求します。こうした実践を私たちは自分、私たちの愛する人々、そして大きな地域社会に捧げます。これが苦しみの技法であり、幸せの技法なのです。一息ごとに、私たちは苦しみを和らげ、喜びを作り出します。一歩ごとに、洞察の花が咲きます。

*Thich Nhat Hanh, No Mud, No Lotus: The Art of Transforming Suffering, Parallax Press, 2014 からの抜粋。

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